6月27日、尾道市土堂町本宅にて出生

尾道市土堂町生家付近
7月22日、父益太郎病死
母の手許を離れ叔母ミネに引取られる
土堂町の本宅を引き払い栗原村祖父の新邸に引っ越す
祖父周二郎病死
4月、尾道尋常小学校入学

尾道尋常小学校(現:土堂小学校(2025年廃校))
従兄英之介死去
長兄逸郎が尾道商業学校卒業後、大阪市水道課に勤務。次兄三郎が福山中学校に入学。12月、西城町に移り、西城尋常高等小学校高等1年次に編入学

西城町近景
2月、西城町叔母宅を出る。小学校退学。西宮市の叔父宅に向かう
西城尋常高等小学校(現:西城小学校)
大阪の辻内家に住み込みの後、メリヤス商(繊維製品商店)に奉公。その後閉店のため、西宮に帰り、更に広島の叔母宅に向かう

当時の大阪の街並み
広島で瀬川商店に雇われ毎日勤務する。夜間学校に通う

当時の広島の街並み
9月、叔母留守中に広島を出て大阪に向かう。音信不通
桃山中学校第4年次に編入学
桃山中学校
初めて次兄三郎に連絡し救済を求める。当時、三郎は大阪高等工業学校卒業後、母校に教授として就職していたため、兄弟で同居する
チフスに罹患し、桃山中学校自然退学。三郎は播磨造船所(現株式会社IHI)に転職
輜重兵として岡山連隊にて1年間兵役に服する
岡山聯隊営門
7月、第七高等学校造士館の理科甲類入学。これより前に中学卒業検定試験を受け合格する
第七高等学校(鹿児島市)
3月、第七高等学校理科甲類卒業。4月、東京帝国大学工学部機械工学科入学。7月より大正15年3月までの間、尾道市栗村財団より奨学金給付を受ける
東京帝国大学(現東京大学)赤門
1月13日、祖母モト病死
3月、東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し、三菱商事株式会社に入社するが間もなく退社。4月、東京帝国大学経済学部3年次に入学。結婚し新たな家庭を築く。この年に高等文官試験(現国家公務員総合職試験)を受けるが途中疲労の為、昏倒
3月、東京帝国大学経済学部卒業。4月、東京帝国大学大学院に入学。一方で友人の平野氏と大阪に商工学校を設立し経営する。長女美智子誕生
大阪商工学校を残らず平野氏に譲り、東京に高等工商学校を創設し、7月に設立認可を受ける
東京高等工商学校(大森校舎)
3月、東京帝国大学大学院修了。4月、東京帝国大学法学部政治科入学
1月8日、母ヨネ病死、享年61歳。3月、附属工科学校設立認可を受ける
3月、東京帝国大学法学部政治科卒業
大阪商工学校の後始末に責任を問われる事件があったが、この年に法律に従って解決。日本大学校商科に入学
日本大学校商科卒業。日大商学士となる。4月、日本大学文科に入学
日本大学校文科卒業。日大文学士となる。
一善会相談役となる。5月、アメリカ合衆国イリノイ州マッキンリー?ルーズベルト大学校に2論文提出
4月16日、アメリカ合衆国マッキンリー?ルーズベルト大学校より文学博士の称号、6月8日、工学博士の称号を送られる。9月、津山市長就任。10月、辞職
当時の津山市役所(現:津山郷土資料館)
5月30日、永眠。6月2日学校葬
芝浦校舎(1943年ごろ)
1月25日、胸像除幕式挙行。池上本門寺墓地工事落成。5月28日、法要並びに墓前祭を執り行う
有元家墓所(東京都大田区)