トルコ?シリア大地震の被災地で仮設住宅をつくる取り組み
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建築家 坂 茂
東京生まれ。1984年クーパー?ユニオン建築学部を卒業。82-83年、磯崎新アトリエに勤務。85年、坂茂建築設計を設立。95年から国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)コンサルタント、同時に災害支援活動団体ボランタリー?アーキテクツ?ネットワーク(VAN)設立。紙管を使った災害時の復興住宅などで知られる。主な作品に「大分県立美術館」「静岡県富士山世界遺産センター」「ラ?セーヌ?ミュジカル」などがある。プリツカー建築賞(2014)、フランス芸術文化勲章コマンドゥール(2014)、マザー?テレサ社会正義賞(2017)、紫綬褒章(2017)、メリディアン文化外交賞(2022)、アストゥリアス皇太子賞平和部門(2022)など数々の賞を受賞。2023年4月1日から芝浦工業大学の特別招聘教授に就任。
2023年4月、世界的な建築家である坂茂氏が芝浦工業大学の特別招聘教授に就任しました。紙管(再生紙で作られた筒状の紙製品)に代表される革新的な素材および構造を開発し、〝建築?という手法を用いて世界各地で自然災害や紛争に遭った人々の支援、地域の復興に尽力し続ける坂茂教授にお話を伺いました。
アメリカの西海岸と東海岸で全く異なる建築に触れた
─坂先生は高校を卒業後、1977年に19歳で渡米し、ロサンゼルスの南カリフォルニア建築大学(SCI-Arc)を経てニューヨークのクーパー?ユニオン建築学部に入学しています。その経験は、のちのキャリアにどのように影響していますか?
僕は、もともとジョン?ヘイダックという建築家が教鞭をとるクーパー?ユニオンに行きたくて渡米を決めたんです。しかし、同校は留学生を受け入れていなかったので、南カリフォルニア建築大学を経由し、編入という形で入学しました。結果的に、西海岸と東海岸で全く異なる建築および建築教育に触れることができました。例えばロサンゼルスに住んでいた頃は、リチャード?ノイトラやチャールズ&レイ?イームズらが参加した実験的な建築の流れ「ケース?スタディ?ハウス」に感銘を受けました。ニューヨークに移ってからは、ロサンゼルス時代は関心が薄かった歴史的な建造物の分析を中心に教わり、ル?コルビュジエやミース?ファン?デル?ローエのような天才的な建築家ですら、過去の建築を下敷きに設計していることが分かったんです。歴史的な建造物が多く残るニューヨークで建築の歴史を勉強できたことは、自分にとって非常に大きかったですね。
─坂先生は紙管を建築に用いていますが、それを始めたきっかけとメリットは?
84年にクーパー?ユニオンを卒業後、建築写真家の二川幸夫さんのアシスタントをやっていたとき、フィンランドにアルヴァ?アアルトの建築を見に行く機会がありました。大学時代はアアルトにあまり興味がなかったのですが、彼の建築は地域性やコンテキストが非常に重要視されているというのを、実物を見て初めて理解したんです。以来、アアルトが大好きになり、86年に日本で彼の展覧会を開催しました。その会場を設計する際、アアルトのようにふんだんに木を使う予算がなかったので、それに代わる材料として、事務所にたくさんあったトレーシングペーパーやFAXロール紙の芯に着目したのがきっかけです。紙管は安いだけでなく、いろいろなサイズがあり、世界中どこでも手に入る。また構造の設計において、材料の強度と建築の強度は関係ないんです。コンクリート造の建築でも地震で簡単に壊れますが、他方で地震に耐える木造建築はいくらでもある。木よりさらに弱い紙を使っても、強度が安定した構造をつくれることが理論的に分かっていたので、それを実証していきました。
春休み中に学生たちを募りトルコ?シリア地震人道支援のための仮設住宅を学内で試作
─その紙管を用い、地震などの被災地で仮設住宅をつくるボランティア活動もなさっていますね。
僕は 85 年に独立して、10年ほど経ってようやく周りが見えるようになったとき、我々建築家はほとんど社会の役に立っていないことに気づいたんです。極端な話、建築家はほとんど特権階級の仕事をしているわけで。要は政治力や財力のある人たちに雇われ、モニュメンタルな建築をつくり、彼らの力を社会に示すことに利用されている。そうではなく、一般社会に貢献できる仕事ができないかと考え始めたんです。そのひとつのきっかけとして、大きな地震が発生すると死者が出ますが、地震で人が死ぬのではなく、建築が崩れて人が死ぬということに思い至りまして。それは建築家の責任にもかかわらず、町が復興するときにたくさんの仕事がまた建築家に舞い込んでくる。しかし復興の前に、避難所や仮設住宅の悲惨な住環境を改善するのも建築家の役割ではないかと。
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紙管仮設住宅の試作棟
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坂教授と学生ボランティア
─芝浦工業大学においても、今年の2月に発生したトルコ?シリア地震の被災者の仮設住宅を、学生と一緒につくられています。
実は、(取材時時点では)まだプロパーな授業も研究室も持っていないんです。しかも地震は大学が春休みの時期に起こったのですが、より中長期的に使える仮設住宅を試作したいと思い、芝浦の先生方にご相談したら「手伝いたい学生がいたら、緊急に集めて大学の中でつくってよい」と言っていただいて。春休み中にもかかわらず、研究室などの枠も関係なく学生が集まってくれたので、学内で仮設住宅をつくり始めました。同時にそのデータをトルコのアンカラにある中東工科大学に送り、向こうでも試作をしてもらい、5月初旬にアンカラの学生と共に、シリア国境に近いアンタキヤという特に被害が大きかった町へ仮設住宅を移設してきました。さらに、5月5日に能登半島でまた大きな地震が起こったので、芝浦だけでなく金沢工業大学と慶應義塾大学の学生らと共同で、6月初旬に被災地の石川県珠洲市へ仮設住宅を設置しに行きました。
─ものすごくフットワークが軽いですね。
災害はいつ起こるか分かりませんし、支援はすぐに始めないと手遅れになってしまう。予期せぬ事態に急遽、学生を集めて仮設住宅をつくるという、すべてが即興的に進んだプロジェクトですが、災害ボランティアにおいて学生の力は非常に重要なので、ありがたく思っています。
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学生ボランティアによる紙管仮設住宅の建設作業の様子
© 坂茂建築設計
いい建築家になるために
必要な教育とは、旅である。
─豊洲キャンパスでは2022年9月にレストラン「銀座シシリア豊洲店」と、カフェ「SIT Global Caffe empowered by Segafredo」がオープンしました。いずれも坂先生が設計をなさっていますが、どんなことを意識されたんですか?
大学の校舎や教室は、シルバーやグレーを基調とした、ある意味で冷たい雰囲気になりがちです。そんな中で温かみのある、居心地のいい空間をつくりたかったというのがひとつ。また、レストランとカフェの間はピロティになっているので、その3つの空間が一体につながるような、内と外の中間的な領域を設けてみんなのたまり場にしたかった。レストランでは紙管を、カフェでは新しく開発したL字型断面の合板を使い、それぞれ異なる素材と構造をベースにデザインしています。もうひとつ、こだわったのが天井です。一般的に、近年日本の建築では天井のデザインは重視されませんが、日本の古典建築でも西洋でも、美しい天井がいくらでもある。だから、どちらの店舗も天井をしっかりデザインしています。
─芝浦工業大学で建築を学ぶ学生にアドバイスをするならば、どんな言葉をかけますか?
いい建築家になるために必要な教育とは、旅なんです。世界中のいい建築といい風景を見る、あるいは美味しいものを食べ、その土地の文化に触れる。これが一番の糧になるので、たくさん旅をして、可能なら留学してほしい。特に近年は、これだけグローバル化が進んでいるにもかかわらず、日本人留学生の数はどんどん減っています。これは日本が大きな危機に直面していると言ってもいい。とにかく世界中を旅行するということは、建築学部に限らず、学生時代に最も重要なことだと思っています。
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坂教授が設計した銀座シシリア豊洲