しばうら人 宮城朋幸さん
2022/03/14
- しばうら人
日本刀に魅了されて
小さい頃から時代劇が好きで、日本刀に魅了される。中学生のときにはもう刀に関係する仕事をしようと考えていて、高校生のときには刀屋さんに通っていたと言う。高校卒業後、弟子入りしようとしたが、母親の「大学で見識を広めた方が良い」というアドバイスを聞き、せっかくなので鉄の勉強をしようと考え、材料工学が学べる芝浦工業大学に入学。指定校推薦の面接で、後に所属する研究室の苅谷先生と出会った。こういう勉強がしたい、と話すととても面白がってくれたと言う。大学時代も師匠の工房を見学させてもらい、刀鍛冶への気持ちをよりいっそう高めた。卒業研究のテーマは「統計的手法を用いた日本刀形状の力学的解釈」。大学の勉強は、日本刀の作業工程を学術的に理解するのにとても役立った。大宮キャンパスでは、授業以外の時間は常に図書館で時代小説を読んでいた。
命を吹き込む工房
葛飾区の閑静な住宅街の中にその工房はある。
日本刀の製作は原料の玉鋼を薄くつぶす作業から始まる。その後薄くつぶした玉鋼を小さく割り、てこ棒と呼ばれる道具の先に付けておいた、玉鋼で作った台の上に積み、炉の中に入れ熱する。温度が1300度程度になった所で炉から出し、槌で叩いて一塊にする。刀鍛冶は鋼の温度を火の色、鋼の色、そして音で判断する。その後再び熱し、炉から出して槌で叩いて延ばし、そして折り返す。これを12~13回繰り返す。この工程は「折り返し鍛錬」と呼ばれ、この工程で不純物を取り除き、成分を均等にしていく。この工程は鋼をしっかりと高温にすることが大切だが、高温になると鋼が燃えて量がより減るという難しさがある。そのため、藁を燃やして灰にしたものを付けながら、温度を上げていく。低い温度で溶ける藁灰が鋼の表面に膜をつくり、鋼を燃えにくくするからだ。
この鍛錬が大事で、刀の形に薄く成型した時にキズなどの欠陥が露呈するために最初から最後まで気が抜けない作業だと言う。
この鍛錬を硬い鋼と軟らかい鋼の2種類行う。硬い鋼の方は皮鉄と呼ばれ、刀の表面に用いられ、軟らかい鋼の方は心鉄と呼ばれ、刀の中心に用いられる。この心鉄を皮鉄で包み、温度を上げて叩き、一塊にして延ばしていき、刀の形に整形していく。その後はヤスリや砥石などで整形し、表面に粘土を塗る土置き、そして焼入れを行い、日本刀の特徴である「刃紋」を出す。日本刀は刃物であるため、刃先は硬くなければならないが、刀身全てを硬くしてしまうと、今度は折れやすくなるという問題が発生する。そのため刀の表面に塗る粘土の厚さを調節し、焼入れした時に刃先のみ硬くなるようにする。焼入れ後、硬くした所と硬くしなかった所の境界が「刃紋」となる。この刃紋が刀鍛冶の個性がでる所だと宮城さんは言う。焼入れ後、砥石で刃を付け、姿を整えた後、研師、白銀師、鞘師の元に渡り、最後に刀鍛冶が自身の銘を切ることにより日本刀は完成となる。現在宮城さんは1年に1本のペースで作刀している。刀を売り買いする仕事もあるが、「日本刀を自分で製作するのが、本当に好きなんです」と話す。
技術を磨く
刀鍛冶になるためには文化庁主催の研修会を修了しなければならない、最低4年間の修業が必要であるが修行中は無給である。大学卒業後、苅谷先生が研究の手伝いをするアルバイトを宮城さんにお願いしていたが、顔を真っ黒にしながら研究室に来る姿をよく見かけたという。今の当面の目標は、日本刀の製作だけで生活をすること。資格を持っているのは日本で200~300人いると言われているが、日本刀だけで生活をしているのは10人ほど。「特に、若い人に日本刀を買ってもらいたい」と宮城さんは話す。「稼いだ人の証、芸術品として日本刀をもっと普及させたい」。先に独立している兄弟子と一緒に、例えば若者が集まる音楽のイベントなどで作業の実演を行い、魅力を伝えられないか考えていると言う。
鋭い姿に、華やかな刃文を持つ刀が宮城さんの目指す日本刀だ。鋭く切れるように作ると見た目も美しくなる。「修業時代は試験に受かることだけを考えていたのであっという間でしたが、これからが勝負なので、師匠のように日本で1,2を争うような技術を磨き、良い刀を作っていきたい」。これからも宮城さんの鍛錬は続く。