ロールモデルインタビュー3
明野設計室一級建築事務所 明野美佐子さん(2017年度)
芝浦工業大学を卒業し、社会で活躍している女性の先輩に対して、我々学生が就職活動や仕事、将来、ライフコースについて不安に思っていることを伺う機会を作り、とくに女子学生の、仕事を含むた人生全体のキャリアイメージを描く参考となる情報を広く共有できるように発信するこの企画。今回は、1988年度大学院建築工学修士課程修了、明野設計室一級建築事務所の明野美佐子さんにインタビューを行った。インタビューのお相手
明野美佐子(あけのみさこ)
1988年 芝浦工業大学大学院建築工学修士課程修了後、小堀住建(株) (現 エス?バイ?エル(株)中央研究所勤務 2000年 明野設計室開設
※前身を含む
インタビュアー?撮影?編集スタッフ
佐久間 ひなの デザイン工学部 デザイン工学科 2年/FM芝屋 アナウンサー
松崎 彩花 工学部 情報工学科3年/FM芝屋 アナウンサー
秋本 知輝 工学部 電子工学科 3年/FM芝屋 ディレクター
現在のお仕事について
なぜ今のお仕事に就かれたのですか
父の影響です。父はゼネコンに務めていました。専門は構造設計のほうだったのですが、ただ意匠設計のほうが非常に好きで、勤めながら個人的に休みの日には友人に頼まれて住宅等の設計を相当やっていました。それを横で見ていました。その頃父が頻繁に言ってたのは、「建築は工学系の他の学科に比べるとちょっと特殊な分野で、技術的な側面は他の工学部に比べるとローテクかもしれないけど、文化的な側面が重い分野なので年をとってもすごく楽しめるよ」ということです。私から見てても父はすごく仕事が楽しそうだった、あまり愚痴とか言わなかったし、本当に楽しいんだろうなと思っていました。ゼネコンでの業務でないお仕事の方も楽しまれていたのですか
そうですね。それを見ていて会社に勤めるより自営の事務所がよいと思われたのですか
進路を決めたときはそこまで深くは考えていませんでした。ただ、建築学科以外は受けていません。
事務所にと思われたのはいつ頃ですか
最終的に自営の事務所になったのは住宅をひとつひとつ設計していくことに興味があったからですね。大学出られてから事務所を開設するまでをお聞きしたいです。
最初に就職したところは、今は名前が変わっちゃったんですが、当時小堀住建株式会社という住宅メーカーだ ったんですね。そこは和風のものを作っていて、私はそのデザインが好きだったんですが、中央研究所という部署で商品開発をやってました。その頃から私は住宅をやりたいと思ってたんですが、当時は一棟一棟建てることで街並みとゆうか日本の住宅レベルが上がってくるというイメージが掴めなかったんですね。その時は量産しているところのみに影響力があると思っていました。それである程度量産するところに行って、そういう商品開発に携わりたいなと思っていました。街並みづくりに関わりたいという気持ちがあったのですか
そうですね、街並みとゆうか、中にいて住むこともですし歩いていても住宅が気になるんですね。いい住宅があるところは、その周りに及ぼしている影響っていうか空気感みたいなものが変わってきます。住宅というのは人の気持ちにまで働きかけられる力を持っていると思います。それを考えたときに一棟づつ建てるのは遠すぎて、ある程度量産するものでいいものが作れれば手っ取り早いとは言いませんけど、変わっていくかなとその時は考えていました。ただ、自分の中でちょっと違うなって思いはじめたきっかけは、私のいた部署はお客さんと接することがなかったんですね。今自分がやっていることで苦労していることを考えれば、そこの部分がないのである意味楽といえば楽だったのかもしれません。ただ支店等お客さんと接している部署は毎日すごいクレームが来ていて、そのクレームが文章としてまとめられて上にあがってくるんですね。それを読んで次の商品開発につなげたりもするんですけど、ちょっと間接的でとても遠いところで起こっているような感じでした。本当はどうなのか、もっと近くでしっかり見ていきたいなという思いがすごくありました。ただ、社内では認定?評定業務をやってる部署がすぐ横にあったので、世の中の仕組みを学ぶという意味ではすごく勉強になりました。それからどのような経緯で個人事務所を開かれたのですか
結婚が決まった時に「会社を辞めるよ」と言ったら、現在の夫が「辞めれば」って言ったので、すぐ辞めちゃいました(笑)。しばらく家にいようかなと思ってたんですけど、夫の勤務していた磯崎アトリエを一歩先にやめて独立した方がいまして、その方が「奥さん会社辞めて、時間があるのならうちに来てよ」って言われまして。ちょっとゆっくりしようと思っていたのですが、すぐそこにお手伝いに行くことになりました。今になってみると、それがいい経験だったのかなと思います。自分達で事務所を一から始めるということがどういうことなのかをつぶさに見られました。彼らも始めたばかりだったので、まだ考えなきゃいけないことがたくさんありましたのでそれを見られたのはすごくよかったです。そこではどのような仕事をしたのですか?
いわゆる設計事務所のお手伝いです。まだ特記仕様書とかもままならない頃だったので、そういうことをゼロから見ることができました。そこでしばらく勤めてから個人事務所を開設されたのですか?
話はちょっとまわり道になるのですが、その頃知り合いに奇特な方がいて「家を一軒頼むよ」と頼まれました。私達はまだ勤めていて個人で行うには右も左もわからないような感じでしたが、その方は年配で懐の深い、見守る度量のある方でしたので「じゃあちょっとやってみようか」って。とにかく真剣にやって面白くなかったら設計事務所を開くのはやめようって言ってたんですね、その時。そこで決められたのですね!
大変な中にも何か楽しみが見いだせたら設計事務所を開く方向で動こうということにしました。その時はもちろん環境も整っていませんでしたし、まだCAD化されていない頃だったので手描きでした。大変じゃないですか!
夫はアトリエ事務所からそれこそ毎日終電とかタクシーで帰宅。それが当たり前の時だったので、私は昼間家で仕事して、夫は深夜一時二時に帰ってきて、そこから今日の作業の報告をしてふたり一緒に作業をする???みたいな感じでした。たいへんですね。。。
その時は体力が今よりもあったし、楽しかったのでできたんですけど。 当時夫は公共施設に携わっていたので何万平米というスケール感で仕事をし、帰ってきて1平米2平米の話を検討するので頭のスイッチが切り替わらなくて、「言ってる大きさ全然違うよ、これ」等と話したりしていました(笑)。そこで良さがわかったからこそ今があるんですね。
そうですね。どのような点が一番いいと思いましたか?
仕事のスケール感が本当にいいと思えました。 大きいものをやっている方だとそこまでスケールダウンした検討はできないそうです。 それから住宅のスケール感は、自分が日々実感することがそのまま仕事になることもいいと思いました。 「仕事と生活は別」という考え方も一方ではあると思いますし、紺屋の白袴ってことわざもありますけど、 私はそうではないところを目指したいなと思っています。 私は何年か前に住環境福祉コーディネーターという資格をとったのですが、 だれでも少しづつ歳をとるにつれて体とかが変化してくると思うんですよね。 私が一番仕事の中で大事にしたいのが、自分の実感と共感なんですね。 自分が歳をとってくると若い時の感覚だけではなくて、例えば手が上がらなくなってくる等いろいろなことが変わってくると思います。そういったことを本で勉強するだけではなくて今後自分が実感してゆくことを、共感につなげて設計にフィードバックしていきたいと思っています。 若い時は若いことでチャレンジできたこともありますが、これからはどんどん生きてきた時間が長くなり生活の経験も長くなりますので、そこを住宅の設計に反映させたいと思います。 話がずれちゃうんですけど、最近読んでハマった本があります。 他大ですが、建築の修士論文で川沿いのホームレスの段ボールハウスを研究した人がいるんです。 その方は実際にホームレスと一緒に住んで生活を共にし、その話を本にされていたんですが、それがすごく面白くてしばらく立て続けに読んでいました。 ホームレスにもいろんな方いると思うんですけども、そこに登場する人はとにかくすごい。 例えば、電気ない中でどうやって照明つけるかっていうとガソリンスタンドにいって使い終わったバッテリーをもらってくる。さらにそのバッテリーを通して世の中の進歩をすごい感じると語ってるんですね。つまり昔のバ ッテリーとゆうのは車にもうつかえなくなって廃棄処分された時点でも家の電気をつけるくらいだったら十分な電気が残っていたそうです。でも最近はものすごい技術が進歩してきて廃棄処分になったバッテリーにほとんど電気が残っていない。そういうことで世の中の変化を体感しているんですね。だから「生活をする」ということを突き詰めていくと、どういう住み方をしていてもそれなりに社会や時代を感じて、影響を受けるということなんだと思いました。それで私はその著者の本にハマって何冊も何冊も読んでいるんですけど???(笑)。面白そうですね。
人の生活って社会のあらゆることに密接していますよね。つい先週も新聞でキョーワナスタとゆう建材メーカーと Amazonが提携して商品開発するとでていたんです。 Amazon のポストにそのまま投函するサイズ、あれが現在 Amazon全体の二割から三割を占めるそうです。今後は提携することで、情報交換を行いそれがきちんと入る口金サイズのポストを作って普及させてゆこうということでした。ポスト一個のことなのですけど、Amazonがそこに絡んできて、Amazonの利用者がそれだけ増えたという背景にはネット環境の整備とか女性の社会進出等あらゆる世の中の事情がすべてに繋がってくるっていうのが面白いですよね。またすべてがつながった中で私達は暮らていて、ひとつひとつが形としてあらわれているのだとあらためて感じる記事でした。今のお仕事をやっていて技術の進歩などの環境の変化を感じたことってありますか?
18年の経過は感じますね。 例えば学生の頃は法律は不動のものだと思っていたんですね。不動じゃないんですか!?
基本変わらないと思っていたんですが、法律がこんなに変わるものだと思いませんでした。 時代に合わせて常に動いているものです。 もちろん法律には建築基準法以下、体系がありますので一番上の基準法そのものは頻繁ではないにしても その下の運用については、常に変化しています。 今回の 2020年に変わる省エネの動き(大きい建物はすでに順次変わってますが)は、私が事務所を始めて 18年の中では三番目の大きな波だと思っています。 事務所を開いたのは阪神大震災の後でした。まず震災後、構造的な法律が大きく変わりました。。 次にシックハウスが大きな社会問題になりました。バブル当時が最悪だったと聞いていますが、消費に追われて品質がおろそかになり建材等に含まれるホルムアルデヒド等を代表とする物質が健康に影響を及ぼしました。それでシックハウスにかかわる法律ができました。 その後、姉歯の耐震偽装事件がありました。文部省による大学のカリキュラムも変わりました。 これもいれると、2020年の変化は 4番目となりますね。 大きい事件や社会問題が起こった後、新聞の見出しから消えると業界以外の人はほとんど忘れますが、実際に法規が変わったりといろんなことが影響を受けます。オリンピックでも大きく変わるのでしょうか?
建設業界には外国人の労働者が日本に長くいられるようにとかそういう法律はすぐに変わりましたよね。大学の経験が仕事に生きたことはありますか?
直接的にこの知識が役立ったっていうのはなかなか少ないんじゃないかなと思います。 ただ大学の授業は今思うと幅が広いんですね。 身近に専門学校を卒業した人がいますが、それに比べると同じ建築を学んでいるのですが、構造のように数字が中心の時間もあれば私は町のサーベイを行っていたんですが、まったく異なる授業もあります。本当に幅が広くて、積算の授業とか法規の授業とか、法規なんて学生の頃は最もわからないところなんですが(笑)、まあそういうわからないなりにばらばらでやっていたことが、今やっとひとつになっているという感じです。とくに住宅は規模が小さいのですべて見なければいけないんですけど、今の時代だと環境問題等も大きく関わってきます。かといって設計を実際に始めると、収納どうしますかとかそういう話まであるわけで、本当に幅が広くて。ようやくさまざまな側面があることが理解できてきた感じです。私は構造の専門ではないですし、環境の専門でもないのですが、そういうものをちょっとでも授業で受けてきたことはたぶん何らかの形で役立っているのでしょう。事務所は大変ですか?
めっちゃ大変です(笑)楽しいですか?
楽しいですけど大変さと楽しさがたぶん量でいえば大変さが勝ると思います楽しい瞬間っていつですか?
私図面を描くのは好きなんですがそこは本質的なところではたぶんなくて、楽しいっていう意味はもうちょっと深いところにあるような気がしています。少し前にホームページをリニューアルしたんですよね。 それでリニューアルするにあたって設計事務所がごまんとある中で私達はどういう設計事務所をやりたいのか、それから自分に何ができるのか考えました。
それから以前のお客様から感想みたいな声を集めたくて、ちょうど始めて18年なんですけど(2017年 9月16日現在)これまでのお客さんと連絡とったりしてたんですね。
そういうお客さんとちょっと話をしたりすると本当に自分のやっていることの責任の重さみたいなものを感じますし、それが充実感というかやりがいなのかなと思います。同時にその責任の重さが大変なんだろうと思います。適当なことを言っているとそのまま自分に返ってきますし、家って瞬間的なものではなくてその人の一生住むものなので。
一級建築士っていうのはどのような仕事なんでしょうか?
建築士というのには一級以外にも二級や木造というものがあるんですけど私達が建築士会のやっている講習に行くといつも言われることがあります。それは建物に関して設計と監理をすることを役割として与えられる資格は建築士しかない、独占的な資格ですということです。 単純に言ってしまうとその通りなんです。一級建築士になるのは大変ですか?
勉強しなきゃダメですね。 合格率だけでいえば昔から国土交通省が人数を毎年決めているので、大体10~12%前後です。 だから勉強しなければ無理ですね。普段の生活について
休日はどのように過ごしていますか?
これは答えやすいですね。 まず休日は少ないんです。 今みんな働き方改革とか言ってますけど(笑)、単純に何もない日は月 3、4 回です、慣れてはいるんですけど。時々幸せな土日が入るんですけど、そんなに持て余すほどは休みはないです。 映画を見たり、編み物をしたり。編み物はどのようなものをやっているんですか?
冬はセーター等、冬以外は手芸もします。あとジョキングもします。すごい多趣味ですね!
だから朝 6時くらいから編み物したり、休みの日もあんまりだらだらしないでぜんぶ使いますね。 編み物も冬物は最近は自分で編んだものを着ることが多いです。それがストレス解消法にもなってますね。すごいですね。映画はどのようなものを見ますか?
映画は根の暗いものですね。洋画ですか邦画ですか?
両方見ます。最近は何を見ましたか?
アカデミー賞を取った映画「ムーンライト」が良かったです。 暗い映画なんですけど、いろいろ難しい問題が孕んでいて人種差別とか同性愛とか薬の問題とか子育てを放棄する親とか???いろんなマイナーな問題ばっかりで、でもすっごく私は好きでした。本とはどんなジャンルのものが好きですか?
本は何でも読みますけど、毎年年に 2回ある芥川賞直木賞をとった本は毎回チェックして何冊か読みます。あと建築関係の本も少し読みます。『花火』も読みましたか?
花火はすぐ読みました。それだけ多趣味ですと、今日はこれやろう、明日はこれやろうみたいな感じになりますか?
冬になって編み物が始まると本が進まなくなるので、休日のやりくりを考えます。それはけっこう昔からやってらっしゃるんですか?
学生の頃からなのでけっこう長いあいだやってます。今後やりたいことはありますか?
私は意外と遠くのビジョンがないんですね。あんまり大それたこと考えないんですね(笑)。歩く、走る、もしくは自転車で自分の力だけで旅行に行きたいです。色々発見があって楽しそうですね。
そうですね。 だからマラソンだったら 42.195 キロ、だから例えばリュクサックを背負ってそこで一泊してそれを続けたい。自転車は私が一番遠くに行ったのが日帰りで 80 キロぐらいなんですけど、それを続けてまた次の場所に行って っていうことをしたいですね(笑)。学生時代について
アルバイトは何をしていましたか?
家庭教師やってました。 母校が女子高だったんですけど母校の先生が生徒を紹介してくれてやらない?って言ってくれて、 それでやろうかなと。建築系の勉強をしながらだときつくなかったですか?
そうでもないですね。 ほかのバイトに比べると時間が短いので時間管理がやりやすかったですね。 それで集団行動がすごい苦手なので、割と一対一が好きなんですよね。 結構楽しかったです。何の教科を教えていたんですか?
数学と英語と理科です全部ですね(笑)。それはいつまでやっていましたか?
何人かが少しづつずれながら、一人二年づつです。大学院にはなぜ進学したのですか
そこすごい考えたんですけど(笑)なんか見つかんなくて家庭の中で話し合った結果だったんですけど。学院に行って変わったことはありますか?
私は研究室も変わらなかったのでそんなに大きく変わらないのかもしれませんね。 ここからがガラッと変わったって感じではなかったので延長線上みたいな感じでしたね。建築系の学部学科や大学院の印象は今と昔で変わりましたか?
私の時はデザインという言葉と建築という言葉が今ほどイコールではなく、デザインは一部で、 もうちょっと建築全体としては堅いイメージが強かったように思います。 最近はカタカナのおしゃれな学部とか学科とか、割と融合したような、理系文系を分けない学科が私の時より増えてきているんですね。 当時はそういう感じは今ほどはなかったですね。堅い感じだったのですか
そうですね、工学部という感じでした。 いまは理系でもシステム理工学部とかデザイン工学部とか文系よりのおしゃれなイメージがありますね。 そういう意味では入りやすいのかなって思います。 私の時はまだ「やっぱり理系、文系どっちにする?」って。理系なら物理と数Ⅲとってって感じでした。 ただ私はそれより以前に家庭にそういう職業の父親がいたのでそこは全然迷わなかったんですけどね。ほかの道に進もうかという迷いはありませんでしたか
全くですね。すごいですね
よかったのか悪かったのかわからないんですけど、ちっとも考えることはなかったですねまっしぐらに走ってきたのですか?
そういう意味では全く迷うことはなかったですね。理系を選んだ理由に理系の科目が好きだったとかそういうのはあったんですか
それはもちろん好きでした当時建築工学科には女性が少なかったと思いますが、その点に抵抗はありませんでしたか?
それはなんかすごい話で何にも調べてなかったんですよ、そのこと。 女性と男性の比率も何にも調べませんでした。 場所についても、受かって行くってなったときに東大宮にあるってことがわかって(笑)。 「えー東大宮!!」ってなりました。当時は埼京線なかったんですよ。それで 2時間以上かかるってすごいですね。そこで突きつけられる事実の大きさが(笑)
それであれ、もしかして、考えもしなかったけど一人暮らし!?って話がちょっと出たんですけどうちの両親は絶対にそういうことをさせたくない親だったので一応学生課に行って、「これだけ遠いと一人暮らしですかね?」って一回聞いたんですね。母も一緒だったんですけど。 そうしたら学生課の方が「いや~、女の子はやめといたほうがいいですよ~、生活が乱れますよ~」って(笑)、それですぐその話はなくなったんですけど。女子いないな~と思いましたか?
建築で入って女子ってこんなにいないんだって、そこで気づきました笑びっくりしませんでした?
でも不思議とそこで全然なかったんですよね、ショックが。私女子高だったんですけど。だから女子高から男子校にいった感じですね(笑)。あとトイレが全然なかったですね。なるほど昔はなかったんですね。
3年生になって田町に移ったときにトイレが一個しかない、学生課のわきにしかなくて。 私が在学中に女子トイレを作りますっていう工事がありました。 ラウンジってあるじゃないですか、お茶飲む場所。 そこに女子トイレがなくて女子トイレを一つ作りますって工事をちょうど。学科に女子は何人いましたか?
うちの代は学科に七人でした。でも一学年上は確か一人でした。 それでも建築だからいましたけど機械や電気、電子は 0だったと思います。 だからプラチナネットワークのお知らせをいただいた時には、ついにこういう時代が来たかって思いましたね。芝浦工業大学の学生へのメッセージ
浦工業大学の学生に向けて一言メッセージをお願いします。
私は自分が素直ではないので、人に色々言われるのが嫌いなので人に言うのも嫌いなんですよ。 だからあんまりなにも出てこないんですけど???。強いて言えば???私は本は好きで読みますけど、でも最終的には自分が実際経験して傷ついたり苦しんだりしたことしかないと思うんですよ、人生って。
人に言われたことや諺とか頭ではわかっているつもりだったことも、経験によって本当に自分のものになってゆくような気がします。 だから皆さんも自分の目の前のことを一生懸命にやることが大事かなって思います。